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●2026年7月号
■ 黒字リストラと停滞する設備投資の行方
立松 潔
■ はじめに――コロナ禍からの緩やかな景気回復
2020年のコロナ禍で大きく落ち込んだ実質GDPは、22年にはコロナ禍前のピーク時点(18年581.4兆円)の水準を上回ったものの、その後は停滞気味であり、25年度(591.9兆円)も18年と比べわずか1.8%の上昇にとどまっている。特に深刻なのは個人消費(民間最終消費支出)であり、25年度(308.8兆円、GDP比52.2%)においても依然として18年の水準(311.0兆円、同53.5%)を下回っている。
春闘において2024、25年度に大幅な賃上げが実現したにもかかわらず、円安や中東情勢の影響で物価が上昇し、実質賃金が低下を続けた結果、消費の抑制が続いたのである。民間企業設備投資は24、25年と増加を続けているものの、18年の水準と比べ、25年は5.3%の増加にとどまっている。
■ 大企業による大規模な早期・希望退職募集
ところが日本の大企業の業績は好調であり、上場企業の2026年3月期決算で最終的なもうけを示す純利益が5年連続で過去最高となる見通しだという(26年5月14日、朝日新聞)。そしてこのような状況の下で注目されるのが、上場企業の早期・希望退職募集人員が、25年度において2万781人と、前年度の約2.5倍に急増したことである(図表1)。09年度以降で4番目の高水準である。

(図表1・クリックで拡大します)
図表1を見ると、2009年度以降で希望退職の募集人数が最も多い20年度はコロナ禍の影響、次に多い12年度は東日本大震災の影響、3番目に多い09年度はリーマン・ショック後の不況の影響による人員削減だった。これに対し、今回の場合は景気回復期にも関わらず大手企業で大規模な人員削減が行われている。しかも注目されるのはその多くが業績悪化によるものではなく、黒字リストラであるということである。
早期・希望退職を募集した上場企業は46社であるが、そのうち約7割の32社は直近決算期の最終損益が黒字であり、赤字は14社(30.4%)である。そしてその黒字企業による早期・希望退職募集人員は1万6908人で全体の81.3%を占めている。
たとえば、三菱電機は2025年12月から26年1月にかけて53歳以上で勤続3年以上の従業員を対象に人数を定めずに希望退職を募っている。同社の26年3月期の予想連結純利益は3400億円であり、3期連続での最高益を見込んでおり、典型的な黒字リストラである。全従業員数約4万2000人のうち希望退職の条件(53歳以上、勤続3年以上)が当てはまる従業員は約1万人であるが、希望退職応募者は2378人であった。なお、三菱電機のグループ会社でも同様の希望退職を募集し、グループ全体では4700人に上る見通しだという。
三菱電機がこの時期に黒字リストラを行うのは、より若い層を管理職に登用できるようにするためだという。三菱電機はソニー、日立製作所、NECなど他の電機メーカーが大規模なリストラを行ったリーマン・ショック後の不況期にも黒字を維持し続け、リストラを行うことはなかった。しかしその後、定年後の再雇用や定年延長で65歳まで働く社員が増え、シニア層の比率増加によって、管理職ポストが埋まり、課長級以上の管理職ポストに従来は30代半ばで登用されていたのが、最近では40歳前後になってしまったという。要するに高年齢層に占められている管理職ポストを若手に確保するための希望退職募集というわけである。経営黒字で退職金の十分な上乗せが可能なこの時期に高年齢層の削減を進めようというのである。
またパナソニックHDは国内外のグループ全体で1万人もの希望退職募集を2027年3月期までに実施すると発表している。対象者は勤続5年以上の40〜59歳の社員と64歳以下の再雇用社員である。しかし、実際の応募者は予定を2000人も上回る1万2000人に達したのである。
パナソニックHDは直近の2025年3月期の連結営業利益が前期比18%増の4264億円と好調を維持していた。このような時に黒字リストラを行うのは、株価の引き上げが目的の1つとされている。同社の株価は2025年時点でも2000年に記録した最高値(3320円)の半値程度にとどまっている。そしてそれは売上高に対する人件費など販管費(販売費及び一般管理費)比率が高いことが問題であるとして、希望退職募集による人件費削減によって収益改善を進めるというのである。黒字でありながら株主のために大規模な人員削減を行うという、典型的な株主優先経営である。
次に、第一生命HDは2025年3月期の連結純利益が前期比34%増の4296億円と好調であったが、25年1月末に1000人の希望退職を募集している。ところが、想定を大幅に上回る1830人もの応募があったのである。募集対象は傘下の第一生命保険の50歳以上、勤務期間が15年以上の社員などで、対象者の数は約4000人である。したがってその46%もの応募があったことになる。応募者に月例基本給の最大48カ月分を退職金に上乗せするという手厚い対応が用意されており、それも応募者が増えた要因であった。
第一生命HDは2025年に大手生保では初めてジョブ型人事制度を取り入れており、それも希望退職募集の要因と考えられる。従業員の業績や成果に見合った職務への昇格・降格を行い、処遇に差をつけることがジョブ型人事導入の大きな目的であるが、能力のある若者が登用されるだけでなく、能力不足の年長者の降格も行われることになる。そのため、中高年の社員の中にはジョブ型導入に伴う処遇に不安を感じ、退職金が上乗せされるこの機会に希望退職に応募する社員が多くなったのである(以上、3社の希望退職募集に関しては『日経ビジネス』2025年10月20日号p.12-18参照。またジョブ型人事制度と希望退職の関係については『社会主義』2024年10月号の拙稿「日本的ジョブ型雇用の行方」を参照のこと)。
■ 人材育成投資(能力開発費)の削減
以上の3社が黒字経営下でのリストラを進める事情はそれぞれ異なってはいるものの、賃金コストの高い中高年齢層を対象とする希望退職募集の実施により、人件費を削減することが大きな目的になっていることは確かである。しかし、バブル崩壊後のデフレ不況期の人件費削減は、賃金コストの削減だけでなく、従業員への人材育成投資(能力開発費)の削減によっても進められていた。日本企業の人材育成投資のピークはバブル崩壊直後の1991年。その後削減が続き2015年にはピーク時のわずか16%になったと言われている(宮川努『生産性とは何か』ちくま新書、2018年、127頁)。
その結果、能力開発費の対GDP比の水準は、日本企業の場合1995〜99年時点の0.41%から2010〜14年時点の0.10%へと大幅に低下している。これに対し、他の主要先進国の2010〜14年時点の水準は
- 米国が2.08%、
- フランスが1.78%、
- ドイツが1.20%、
- イタリアが1.09%、
- 英国が1.06%
であり、いずれも日本を大幅に上回っているのである(厚生労働省『平成30年版 労働経済の分析』p.89)。
このような日本企業の能力開発費の削減は、正規雇用の削減と非正規雇用の増加によるところも大きいであろう。厚生労働省の『能力開発基本調査』によれば、2024年時点でOff-JTを正社員に対して実施した事業所は全体の71.6%であるのに対し、正社員以外に対して実施した事業所は31.2%にとどまっている。
さらに以上のような日本企業における能力開発費の削減は設備投資の低迷とも関連している。設備投資によって生産性を引上げ、新製品の開発を進めるためには、新技術習得などのための労働者への研修が不可欠である。したがって、設備投資の停滞が続いたデフレ不況期の日本では、そのような研修は不要だったのである。図表2では日本の設備投資の伸びが米国、フランス、ドイツなど欧米先進国を下回っていたことが明らかであるが、すでに指摘したように、これら欧米先進国の能力開発費の対GDP比は日本をかなり上回っていたのである。

(図表2・クリックで拡大します)
そして現在希望退職の対象になっている日本企業の中高年社員は、設備投資と能力開発費が低迷したデフレ不況期に社員として勤務したメンバーであった。高度成長期の社員とは異なり、企業による人材育成投資の恩恵を十分には受けていないメンバーである。しかし企業が今後生産性向上に向けて設備投資を進めるためには、能力開発費を拡大し、社員の職業能力を向上させることが不可欠である。その場合退職期が近い高年齢層よりも若い世代の職業能力を高めた方が企業にとってはメリットが大きいことが明らかである。あとで見るように、日本企業も最近になって漸く設備投資スタンスを積極化させ始めているのであるが、この時期に中高年齢層の希望退職の募集が行われたのは、人材育成面での効果を狙ったものであるとも考えられよう。
■「失われた30年」と設備投資の停滞
「失われた30年」の始まりを象徴するのが1997年の11月に起こった三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行の連続金融破綻である。これによって金融危機とデフレ不況が一気に深刻化し、翌98年には長期信用銀行2行(日本長期信用銀行と日本債券信用銀行)も破綻することになる。バブル崩壊によって巨額の不良債権を抱えた金融機関は、生き残りのために貸し渋り・貸し剥がしに奔走し、金融収縮が進行する。
さらにこの時期にはアジア経済危機(1997年7〜11月)、ロシア通貨・金融危機(98年8月)による世界同時株安、アメリカのITバブル崩壊(2000年)とその日本への波及(IT不況)など、金融ショックが相次いだことも景気の停滞を長引かせることになった。雇用も悪化し、国内の完全失業率は97年12月の3.5%から2002年6月には5.5%へと上昇している。
小泉政権下の2002年から07年にかけて、輸出主導で景気は回復に向かうのであるが、08年9月のアメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズの破綻(リーマン・ショック)をきっかけに再び深刻な不況に見舞われる。そして11年3月には東日本大震災勃発によるダメージも加わることになるのである。
以上のように、1990年代半ばから2010年代初頭にかけては、相次ぐ経済的ショックにより多くの企業が自衛的な経営に終始せざるを得ない状況であった。日本銀行が実施した企業アンケート調査でも、この時期に多くの企業が保有設備の過剰感から新規の設備投資を抑制し、財務の改善を優先した姿が明らかにされている(日本銀行『「1990年代半ば以降の企業行動等に関するアンケート調査」の集計結果について』2024年5月、p.6)。
その後2013年から18年まではアベノミクスの下での景気拡大が続くのであるが、図表2で明らかなように設備投資の回復・拡大は他の先進国と比べて低調であり、15年にようやくリーマン・ショック前(07年)の水準に到達したものの、その後も停滞気味に推移し、20年にはコロナ禍の影響で再び落ち込むことになる。上記の日銀による企業アンケートでも、国内の成長期待が低下するなかで、バブル崩壊後の金融危機に伴う貸し渋り・貸し剥がしの苦い体験から、設備投資より財務の健全化を優先し、将来に備えて現預金の蓄積を優先しているとの回答が多く寄せられている。
もっとも、大企業の回答からは2010年代の景気拡大期には海外での投資やM&Aに資金を振り向ける傾向が強まり、その結果国内設備投資が伸び悩むことになった状況もうかがえる。日本企業の海外設備投資は2000年から18年までに2.7倍に増えているのに対し、国内設備投資は25%の伸びにとどまっていたのである(内閣府『2022年版経済財政白書』第3-1-1図)。
■ 設備投資と賃上げの行方
バブル崩壊後の「失われた30年」において、日本企業は国内の設備投資にも賃上げにも消極的(慎重)であった。しかし最近の動向について注目されるのは、設備投資や賃上げに積極的な傾向が見られ始めたことである。その理由はまず第一に、人手不足に対応するための投資が必要とされていることである。最近では人手不足が深刻化し、デフレ不況期のような「賃上げをしなくても正規労働者を確保できた」状況ではなくなっている。
帝国データバンクによると、従業員の退職や採用難、人件費高騰などを原因とする人手不足倒産は2025年度に441件発生しており、前年度の350件から1.3倍に増加し、年度ベースで初めて400件を超え、3年連続で過去最多を更新している。また前述した日銀アンケートでも「労働者の確保に支障が出ることへの懸念」から、企業が賃上げスタンスを積極化していることがうかがえる。
円安による輸入価格の上昇やウクライナ危機、中東情勢の緊迫化に伴う世界的なエネルギー・原材料価格の高騰によって、図表3にみられるように2022年度から消費者物価が総合指数で年3.2〜2.6%も上昇し、食料品に限ればその価格上昇率は年5.0〜7.4%となっている。その結果、世の中全体に賃上げムードが高まっており、賃上げや賃上げ分の価格転嫁を容易にしているのである。
さらに、企業にとって設備投資には人手不足対策として二重の効果が期待できる。1つは省力化のための投資によって、人員を増やさずに生産を拡大できることである。また設備投資によって付加価値生産性を高めれば、賃上げ原資も確保できることになる。

(図表3・クリックで拡大します)
もちろん省力化のための設備投資が労働条件や雇用に悪影響を及ぼす可能性も否定できない。最近はAIの普及によって失業者の増加や経済格差の拡大を懸念する声も強まっている。しかし、設備投資が停滞することで、実質賃金が低下を続けた「失われた30年」の状況が好ましくないことも明らかである。設備投資による生産性の上昇がどのような形で進むのかについては、そのメリット・デメリット両面での分析が不可欠である。
また、政府も経済界も賃上げが急務であることを認めるようにはなっているものの、昨年も実質賃金の低下が続いていた。中小零細企業も含めた賃上げの広がりと、今後の物価や景気の動向についても注目していきたい。
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