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●2018年5月号
■ 安倍内閣を退陣させ、改憲「発議」を阻止しよう
     善明建一

   

■ 九条改憲で「戦争の道」をひた走る安倍政治

自民党は3月22日の「自民党憲法改正推進本部」(細田博之本部長)の全体会合で、戦力不保持を定める二項(戦力不保持)を維持して、「九条の二」を新設して「自衛隊」を明記する方向で取りまとめる方針を決めた。

自民党憲法改正推進本部が考える条文案
   
九条の二 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
   
(2) 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。(3月22日、朝日新聞デジタル)

全体会議では、二項維持・自衛隊明記の案が提示され議論された。前回示された九条一項、二項維持案では、自衛隊を「必要最小限度の実力組織」と定義して、自衛隊は二項で禁じる「戦力」にあたらないとする政府解釈を明記して、世論や他党の反発を和らげることを狙っていた。
   
だが、提示された案ではこれは削除された。自衛隊を「必要最小限度の実力組織」と定義することには自民党内から異論が出されたと言われているのが理由である。
   
全体議論は「賛成」、「反対」の意見が飛び交う中、細田本部長が発言を求め、安倍晋三首相が提案する二項を残したまま、自衛隊を明記する案に集約させる考えを示した。
   
推進本部岡田直樹事務局長が、対応は細田本部長に一任することを提案し、二項削除論を主張する石破茂元幹事長らから「何が一任されたか、よくわからない」という意見が出されたが、出席者の拍手で了承された。
   
全体会議で決定された「憲法九条改正案」は、九条二項を維持し、九条とは別の「九条の二」を新設し、「前条の規定は、…必要な自衛の措置をとることを妨げず、実力組織の自衛隊を保持する」と書き込むことが意見集約された。
   
これは「二項維持」は認めるが、自衛隊でなく「自衛権」を書き込むべきだとする党内にある声高な主張を取り入れ、それまで有力案だった「必要最小限度の実力組織」と足して2で割った自民党的な折衷案となった。
   
細田本部長は全体会議後、「必要な自衛の措置をとることを妨げず」とした修正案文を採用する意向であることを表明している。これで「推進本部」は、「二項削除」を主張する石破茂元幹事長らを押し切ることができるとしているようだが、「自衛の範囲をどのようにでも解釈できる玉虫色の案だ」と言わなければならない。「必要な自衛の措置」という言葉が入ることで、ではその範囲はどこまでか、集団的自衛権の全面行使も可能なのか、という新たで深刻な論争が残ることは間違いない。
   
集団的自衛権の本質は、他国同士の武力紛争に武力で介入する「他国防衛権」である。自国の防衛という意味での自衛権とは異質で、憲法九条の理念とは対極にある。
   
「憲法九条改正案」の対応一任を受けて、25日の自民党大会では、九条の条文案提示は見送られ、党大会以降、「改憲4項目」(九条への自衛隊の明記、教育の無償化、参院選の「合区解消」、大規模災害時に、国会議員の任期特例を書き込んだりする緊急事態条項」)の条文化を行い、公明党との協議や国会の憲法審査会での議論を目指すとしている。だが、自衛隊の明記をはじめ、教育の無償化、参院選の「合区解消」などを憲法に書き込むことに反対、疑問視する意見は与野党にある。
   
九条(一項、二項)を維持し、その上で自衛隊を明記する安倍首相の提案は、穏当だという識者もいるが、果たしてそうか。自民党歴代内閣が長年採ってきた九条解釈を180度覆し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を2014年7月1日に行った。その上で自衛隊の多国籍軍に参加を可能とする新しい安保法制関連法を2015年9月15日、参院本会議で強行採決し、他国防衛のために自衛隊が海外で活動できるようなった。安全保障法制という形で集団的自衛権の行使を認めた上で、憲法に自衛隊を明記することは、集団的自衛権の行使は憲法上、問題はないことを国民に認知させることにあることは明らかである。
   
安倍首相は、自衛隊員が自然災害復旧や人命救助に自らの生命をかけて活動している自衛隊に、違憲だと主張する憲法学者が相当数いることを挙げ、憲法に「自衛隊を明記し、違憲論争に終止符」を打ち、自衛隊員と家族に「誇りを与えよう」と力説してみせる。国民の間にある災害復旧活動に対する自衛隊への素朴な感謝と信頼に乗じて、集団的自衛権の行使について国民の承認を取り付けようとするものである。
   
安倍首相は「自衛隊を明記」しても、「憲法九条一項、二項は残すのだから、これまでとは何も変わらない」と強調している。さらに国民投票で「九条改正案」が、「否決されても自衛隊の合憲性は変わらない」、「九条を改憲しても自衛隊の権限・任務は何も変わらない」とも述べているが、そうであれば改憲の必要性はないことになる。
   
「推進本部」が有力視する条文案に、新設する「九条二」で「自衛隊を保持する」と書き加えれば、後から書き加えられた条文が優先されることは、明白であり、一、二項はもはや死文化し、自衛隊の権限を広げる障害ではなくなる。
   

■ 憲法九六条項の規定と歴史的経過

憲法とは、国家権力を担う為政者が何かをしようとする場合に、これについて一定の要件を定めた根本的な法である。すなわち、憲法を守る義務は、国民ではなく為政者にある。 国民には制憲権(憲法を制定する権利)、改正権(憲法を改正する権利)も保証されている。第九六条が定める憲法改正規定は、憲法の個々の条項について、修正、追加、補足、削除などを行う要件を定め、その要件に合致した改正を行われるとき、当該憲法改正規定が、「国民の名」において「この憲法と一体をなすものとして」(同条第二項)公布され、将来に向けての国家権力を拘束するものとされている。すなわち憲法の改正には、

  1. 国会による憲法改正案の「発議」、
  2. 国民投票による国民の「承認」、
  3. 天皇の「公布」

という3つの手続きを経なければならないことになる。
   
この九六条制度を少し歴史的に振り返ると明治憲法は憲法制定の最終的権威ないし権力(主権)を保持する天皇が欽定した憲法であったので、その改正は天皇だけが発議できるものとされた。
   
ただ、憲法の改正は、憲法の制定とは異なり、天皇といえども単独でこれを行うことはできず、天皇の付議した憲法改正案に対して、帝国議会の議決を得ることが必要であった(第七三条第一項)。また、議会の決議は通常の法律案の場合(定足数は衆議院・貴族院とも総議員の3分の1)とは違って衆・貴両院において総議員の3分の二以上の出席を必要とし、その表決も三分の二以上の特別多数によるべきものとされた(第七三条第二項)。しかし、国民はその過程からは排除され、憲法改正の請願は勅令で禁じられていたのである。
   
これに対して日本国憲法では、憲法制定の最終的権威ないし権力(主権)は「国民に存し」、その国民が「この憲法を確定する」との建前に立つ民定憲法である。この憲法の改正については国会がこれを「発議」し「国民の承認」によって成立するものとし、国会が国民にそれに先立つ「発議」は「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」(第九六条第一項前段)で国民に提案して承認をえなければならない。そして、国民の承認には、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票」で「その過半数を得ることが必要である」(同条同項後段)とされている。
   
こうして、日本国憲法のもとでは、明治憲法時代の「天皇」に代わって、国民が憲法改正の「主人公」となったのである。
   
ところで戦後の憲法制定にあたる議論で、憲法草案はマッカーサ司令官との調整が行われるが、この憲法改正条項も例外でなく、第一次案〜二次案を経て、一部の語句を修正して、第九六条として確定されたものである。
   
日本国憲法が施行された後、九六条に関する手続法の整備が必要になるが、この整備に最初に着手したのは、吉田茂首相のもとに設置されていた選挙制度調査会である。
   
1952年12月2日、「日本国憲法の改正に関する国民投票制度要綱」が調査会から首相に答申された。この答申を受けて、自治庁(当時)において検討され1953年2月、「日本国憲法改正国民投票法案」が策定された。これは全61カ条からなる詳細なもので、特に想定される再軍備に対する訴訟問題で、政府内意見が一致できなかった。
   
吉田首相は、1953年1月31日の衆議院本会議において、「政府においては、憲法改正の意思は目下のところ持っていない」と言明した。要するに憲法改正の必要がないので、国民投票の立案作業に着手する必要も認められないというものであった。
   
それは1951年に、日本社会党・総評が平和4原則(全面講和・中立堅持・軍事基地反対・再軍備反対)を掲げ、九条改憲反対を掲げて護憲運動が幅広い国民運動として前進していたからに他ならない。1955年の保守合同後において自民党長期政権は憲法改正を党是に掲げつつも、歴代自民党内閣は自らの政権内では憲法改正は考えていないと言明することで、むしろ国民投票制の整備を自ら封印してきたのである。この歴代自民党内閣が憲法改正を「封印」してきたことは、「怠慢」だとして、これを解いたのは「戦後レジームからの脱却」を掲げて、登場した安倍第一次政権(2006年9月〜07年8月)である。
   
そして、野党に転落した後、復権(2012年12月)してから、今日の第四次政権までの5年4カ月の政治である。そのさまを時系列で取り上げてみると、安倍首相は、2006年9月20日の自民党総裁選挙に勝利した直後の記者会見で、意味不明な「美しい国」を連発し、教育改革を一番に挙げた。
   
2006年12月15日、参院で与党の賛成多数で「改正教育基本法」を強行採決で成立させた。防衛庁を防衛省に昇格させる法案も12月15日に可決、成立し、2007年1月9日には防衛省に移行する。さらに同年、5月14日に国民投票法案が参議院本会議で可決し、公布から3年後の2010年5月18日に施行された。
   
そして、自民党が野党時代の2012年4月27日に策定した「日本国憲法改正法案」は、11章からなる改正条項が並び、九条二項の削除をはじめ全面的な改憲案を発表した。その直後、2012年12月に政権復帰した自民党は、改憲の国会「発議」のハードルを衆参議員の3分の2の賛成から、過半数に下げる九六条の先行改憲を持ち出すが、世論の反発で、これを封印することになった。
   
さらに2014年6月13日に改正国民投票法が成立し、施行4年後の2018年に投票資格は「18歳以上」に自動的に引き下げられた。これで憲法九六条に基づく国会憲法改正「発議」の条件が整うことになったのである。
   

■ 憲法制定権・改正権で守るべき立憲主義

憲法を論じる際、憲法を制定する権力(「制憲権」)と憲法を改正する(「改正権」)との関係整理で、2つの見解がある。「改正権」で言えば、憲法改正の手続きを踏めば、憲法の中身は「どうにでもかえることができる」とする見解(憲法学者・河村又介東北帝大・九州帝大教授、最高裁判事1894〜1979)である。
   
要するに河村又介は、制憲権はその草創期、自らが定立する憲法に規定した「改正手続き」にも拘束されることなく「いつでも自由に発動し得る」最高絶対の権力として観念されていたというのである。その上で安定期に乗ったその後の時代では、制憲権によって定立せられた憲法が有効に存在する限り、そのような万能の制憲権の常在を承認するわけにはいかないとする。とはいえ、この権力はあくまで主権者たる国民みずからが憲法上の(改正)手続きを踏みさえすれば、その内容をいかようにも変改しうる根源的な自己組成権力として観念されている。
   
これに対しては、制憲権と改正権の違いを看護するものだとし、実際は同じ国民に帰属する権力だとしても、制憲権と改正権とは法的に区別して理解すべきとの立場から、憲法を無制限に「かえる」ことはできないとする見解がある。すなわち、国民がオリジナルな「自己組成権力」たる制憲権の所産として憲法を創設する場合と、国民がその所産たる憲法によって組織された国家機関として当該憲法規定を改正する場合とでは、同じ国民の権力作用であるとしても、法的に異なるものとして理解しなければならないとするものである。
   
もとより、国民がそのオリジナルな制憲権を行使して憲法を創設する場合であっても、それが「立憲主義憲法」と評価される憲法であるためには、「人間価値の尊厳という一つの中核的・普遍的な法原則」に立脚したものでなければならない。この憲法たらしめる「根本規範」ともいえる「基本価値」が、憲法上の権力である改正権をも拘束する。
   
この見解に立つのが、芦部信喜(憲法学者・法学者、著書に岩波書店発行『憲法』など、戦後憲法学者の第一人者とされている。1923〜1999)である。
   
ちなみに芦部信喜は改正権の限界について要旨次のように説いている。憲法の基本価値を表示する根本規範として人間人格不可侵の原理があげられなければならない。これは制憲権をも拘束する一定不変の内容をともなった最も根本的な法治「立憲国家」の中心的な価値である。憲法改正権は、これ「人間人格不可侵の原理」を犯すことは許されない。
   
従って、この価値を実定化した基本的人権は、憲法の絶対的規範として、改正権の外におかれていると解すべきである。国民主権の原理は、この基本的人権の価値を前提とし、それと密接不可分の関係にあるものとして、改正権によって排除することはできない、と説いている。
   
このように、国民主権、基本的人権の原理に重大な修正を加える改正が許されないということは、さらに平和主義の原理を改正できないことを意味する。なぜなら、平和主義こそ近代憲法(20世紀)においては、不動にして不可侵の根本規範だからであり、そして、国民の民主(国民主権・基本的人権の保障)は、国際の平和なくしては、その実現維持を不可能としているからである。
   
立憲主義の憲法とは、国民が憲法を守ることではなく、為政者を縛るものであり、このような基本価値により組成されたものであるがゆえに、その内容に何等かの変更を加えようとする場合に、その基本価値に亀裂を生じさせるような変更は許されないとするものである。
   
前述した2012年の自民党「日本国憲法改正法案」をこの視点から精査すれば、明らかに立憲主義を侵しており、前述した自民党大会で決定した「憲法九条改正案」は、現憲法の基本価値に亀裂を生じさせることは明白である。
   
自民党が提案する改憲国会「発議」には、立憲主義の立場から反対しなければならない。仮に憲法九条改正原案が、国会の衆参憲法審査会に提案された場合、これをそのまま国民に丸投げするようなことはさせてはならない。
   
なんのために、なにを変えるのか、「九条改正案」は、論旨が明確でなければならない。例えば宮崎礼壱元内閣法制局長官は、国民投票にかける問いを2つに分けるやり方を提案している(朝日新聞「憲法を考える」4月4日朝刊)。
   
それによれば、「1問目で専守防衛の自衛隊を憲法上認めるかを問い、賛成ならさらに2問目で集団的自衛権の行使の賛否を問えば、国民は何を問われているかがわかるだろう」。これをやらないとすれば、それは政治的目的があからさまになるからであり、その上、否決されても結果には従わないということは、憲法改正のあり方を厳正に定めている憲法九六条の趣旨を捻じ曲げるものである。
   

■ 幅広く戦線を拡大し、改憲策動を阻止しよう

3月28日、衆議院憲法審査会の与党幹事懇談会が開かれている。自民党が九条など「改憲4項目」をまとめてから初めての懇談会である。
   
ここでは昨年12月以降開かれていない衆議院憲法調査会について、4月12日の開催を目指すことを確認したが、立憲民主党など野党は森友学園、加計問題で財務省による文書改ざん問題、そして防衛省の「日報」隠蔽問題の真相解明を求め、政治対立を強めており、審査会開催の前提となる与野党による幹事会懇談会開催を拒否している。
   
昨年2月20日、衆院予算委員会のイラク派遣活動報告(日報)隠蔽問題で、野党の追及に対して稲田朋美防衛相(当時)は、「日報は残っていないことを確認している」、「見つけることはできなかった」と明言した。だが「ない」と言っていた公文書の存在が、3月27日になって「発見」されていたが、その存在が1年間も大臣、政務三役、統合幕僚監部には報告されてなかったとされている。
   
その事実が今年1月12日に陸上自衛隊研究本部から、陸上幕僚監部に報告され、小野寺五典防衛相は3月31日になって知ることになった。防衛相による「日報」隠蔽問題は、国会や国民を欺く重大な背信行為であり、文民統制の機能不全は目を覆うばかりだ。その「日報」の一部が4月16日に公表された。そこには自衛隊宿営地周辺で「戦闘」や「銃撃戦」があったことが記されている。
   
「日報」の隠蔽の背景には、「現地は非戦闘地域」という政府の説明と矛盾する記述があり、これを明らかにしたくないという動機があったことは、否定できない。
   
憲法の前文は政府による「戦争の惨禍」を繰り返さないと誓っているが、それは軍隊という実力組織の統制に失敗し、軍隊の暴走を許してきた明治憲法以来の近代日本の歴史を直視した中から、戦争放棄と戦力不保持の九条が生まれたのである。だからこそ自衛隊は憲法上、「特別扱い」されてこなかったのである。
   
そして、憲法違反の自衛隊が発足してから、シビリアンコントロール(文民統制)を厳格に機能させることを政府は国民に約束してきたのである。その文民統制がここまで機能不全に陥っていることを明らかにしたのが、防衛省の「日報」隠蔽問題であった。その責任が極めて重いのは組織を掌握しきれない防衛相だけでなく、自衛隊の最高指揮官である安倍首相である。この防衛省の隠蔽体質を助長させたのは、ほかでもない前述した安倍首相の「戦後レジームからの脱却」路線である。安倍首相はその責任をとってただちに辞職すべきである。
   
国民の信頼がここまで失墜した中で、国民の生命にかかわり、国の将来を左右する安保政策は、丁寧な説明と幅広いコンセンサス、なによりも政権への信頼がなければ成り立たない。安倍内閣の支持率は、朝日新聞世論調査(4月14日、15日)で、支持が31%(前月と同じ)、不支持は52%(同4ポイント増)である。
   
防衛省、財務省、そして国交省、農林省までに広がっている一連の公文書の改ざん・隠蔽問題は、国民の知る権利を蹂躙し、国家、民主主義の崩壊を意味するものである。
   
国民の政治への信頼を取り戻すことを抜きに、国民の幅広い理解を必要とする九条改正論議など、できる状況ではない。公明党の山口那津男代表は、4月4日のテレビ番組で、九条改憲について「根強い反対論もあるし、賛成論も伸びてきてはない」、「国民が望む課題としての優先度はそれほど高くない」と指摘している。さらに「憲法改正は、2015年に集団的自衛権の行使をみとめる安全保障関連法が成立したことを踏まえ、憲法をかえないと何か困るかというと、必ずしもそうではない」との認識を示している。
   
安倍政権の改憲国会「発議」を止めるためには、内閣支持率の急落、そして、安倍首相の発言や振る舞いを見て信用できないが66%に高まっている国民世論を背景に、安倍内閣退陣、改憲阻止の一点で野党共闘を強化し、発展させることが必要である。
   
野党の全体の勢力図を見れば、おおまかに「野党共闘」派(立憲、自由、社民、共産)と、「旧民進派再結集」派に分けられる。民進党から3つに分かれた党派は、その基本政策で微妙な違いがみられるが、自民党の「憲法九条改正案」に反対し、自民党安倍政権と対決していくことでは一致している。民進党衆議院会派「無所属の会」も、自民党「憲法九条改正案」を議論することに反発している。
   
安倍政権をめぐって問題が噴出するなか、立憲民主党など野党6党が、4月13日、「5つの重大疑惑」(森友・加計学園・イラク日報問題など)で責任追及を行う国会論争で、情報の共有を強化していくほか、安倍政権を退陣に追い込むために連携を強化していくことを確認している。
   
野党共闘の強化と共に、幅広い統一戦線の一翼を担わなければならないのは、連合、全労連、全労協などナショナルセンター傘下の労働組合である。労働者への働きを強化し、職場、地域から行動を起こさなければならない。
   
安保法制反対闘争で力を発揮した市民運動は、4月14日に「戦争をさせない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」が主催して、国会前大行動を展開している。
   
こうした市民運動など幅広い国民運動に連帯し、安倍政権の早期退陣を要求し、さらに来年の統一自治体選挙、参院選挙の勝利に向けて準備を強化し、民主政治を取り戻すために総力をあげる時である。
   
(4月17日、脱稿)
   
   

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