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●2005年12月号
■ 国内の人権と国際人権――日本社会の議論に何が欠けているか
            (国際人権研究家・小山内 恒)

 
 ■ 1、憲法論議と人権の停滞状況
 
 日本において現在、人権はどこへ向かっているのであろうか。社会が発展し、国際化が進んでいけば、人権をめぐる状況は良くなるはず、そのような無邪気な期待をよそに、目の前にあるのは人権の停滞状況を示す数々の証拠である。
 
 先頃発表された自民党の改憲草案は、人権についてはきわめて乏しい内容しか提示しないものであった。憲法九条を変えることが至上の目的であればやむを得ないことかも知れないが、戦後60年を経て日本国民が自主的な憲法を定めると宣言した割には、国民や市民の権利をどのように保障する社会を作り出そうとして行くかについては、何のメッセージも込められていない。プライバシー権や環境権などわずかに新しい権利条項が加えられたが、数ある権利の中でなぜそれが新しい憲法秩序のために必要であるのかは何ら説明されていない。ちなみに、プライバシー権は、すでに判例や立法の中で確立している権利である。環境権は、その対象や権利を持つ者の範囲が広範なために、たとえ憲法に加えられても立法がなければ具体的な権利として認めることは困難であろうと言われている権利である。いずれも憲法の基本的人権のリストに加える実際的な意味はほとんど存在しない。さらに、実際の草案では見送られたが、自民党は「権利は義務を伴う」として国民の多様な義務を憲法に規定しようとしていた。市民の権利に対応するのは市民ではなく国家の義務であり、市民に権利を保障するから代わりに国家に忠誠を尽くせといわんばかりの憲法論は、憲法や人権保障の意味をまったく取り違えたものとしか言いようがない。しかし、それがまじめに論じられている。
 
 今ひとつの例は、2005年の第162国会で上程もされないままに廃案となった「人権擁護法案」をめぐる議論であった。国際社会からくり返しその設置を求められ、裁判所に変わって簡易迅速な救済をめざす人権委員会を設置することは本来何人も異を唱えるような内容ではなかったはずである。ところが2002年の第154国会に政府が初めて提出した「人権擁護法案」は、差別など市民の間における人権侵害を主たる対象とし、国家機関による人権侵害は従とされて数々の除外が設けられた。そして、人権救済の任にあたる人権委員会を、刑務所や入国管理局など多くの人権問題をかかえる法務省の下の外局と位置づけた。さらに、報道被害の防止と救済の名の下にメディアに対する規制を明示した。そのことによって「人権擁護法案」はメディアの激しい反発を受け、多くの人権団体もその出直しを求めたことにより、2003年の第156国会でいったん廃案になった。そこで政府は、2005年にメディア規制を凍結する用意を以て、最上程をもくろんだが、従来の反対勢力に加えて、今度は自民党の保守派議員が人権委員に国籍条項を要求した。また、保守派の論客やネットに集う人々が、「人権擁護法案」の差別禁止によって言論が封殺されると反対運動を展開し、法案は上程すらされなかった。ここでは国際的には人権の簡易迅速な救済のために広く受け入れられている国内人権機関という制度が、日本ではその趣旨をねじ曲げられて失敗していった。最終的には、日本社会における数々の差別を温存させ、助長しようとする勢力が、言論という人権を盾に人権保障の新しい試みを葬り去っていったのである。
 
 さて、日本社会における人権の停滞状況を示す事態がもう1つある。それは、日本が加入している国際人権条約のもとで日本の人権状況を国際機関に報告するための定期報告書が、長らく止まったままになっているということである。日本は、これまで6種類の人権条約に加入してきた。自由権と社会権に関する2つの国際人権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約そして拷問等禁止条約がそれである。この中で、国際人権(自由権)規約では1998年の政府報告書審査を最後に、人種差別撤廃条約では2001年の政府報告書審査を最後に、日本政府は条約の履行状況についての定期報告書を提出していない。拷問等禁止条約にいたっては、1999年に条約に加入して1年以内に提出しなければならない報告書を一度も提出していない。例外は、女性差別撤廃条約と子どもの権利条約であるが、この2つの分野については日本政府が外交的にも力を入れている分野であり、政府は報告書の提出と審査の義務をかろうじて果たしている。しかし日本政府の国家としての義務が厳しく問われるはずの国際人権、人種差別そして拷問等については、定期報告書の提出を長らく怠り、国際社会との対話の機会を自ら閉ざしたままなのである。
 
 以上に示した人権に関わるいくつかの停滞状況は、そもそも人権とはどのようなものであるがについて混乱し社会の中で共通した認識を欠いていることを示している。そのことは、人権という概念を自らの政治的目的のために、時には人権そのものを否定するために、都合良く用いることを許している。そして、社会の中で人権に対する共通の理解を作り出せない状況は、その社会の外側、すなわち国際社会との対話の窓口を閉ざすことによってますます深刻なものとなっていく。
 
 ■ 2、国内の人権と国際的人権
 
 そもそも人権とはどのようなものであろうか。この問いに対し、ここでは人権の歴史的な発展に沿って、3つの側面から考えてみることにしたい。

・【自然権思想と自由権】
 人権という考え方を語るさいにかならずその起源として示されるのは、1789年のフランス革命における「人と市民の権利の宣言」である。このフランス人権宣言は、「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」(一条)として、主権在民、法の前の平等、所有権の不可侵などを定めた。この人権宣言の背景にあるのは、ルソーなどの自然権思想であるとされている。すなわち、個人はその身分や財産を問わず、生まれながらにして自然の権利を持ち、国家はその個人の委託を受けて社会を統治するという思想である。この自然権思想は、経済的には自由競争による経済社会を可能とし、その後、資本主義経済の前提となっていく。それまでの中世社会では身分制、職能団体あるいは領主や地主のもとで、人は個人としてではなく身分や団体を通じて行動し保護されていた。自然権思想は、そのような中間団体の存在を否定し、農民を領主や地主から解放することによって、社会を個人と国家とに解体し、自由競争や労働者の形成を可能とした。
 
 宗主国イギリスからの独立戦争を通じて国家を形成したアメリカにおいては、そのような自然権思想が徹底された。1787年に制定された合衆国憲法は、制定当初は国家の統治機構に関する条文を持つだけで、人権に関する条文を一切持っていなかった。これは、人権が人の生まれながらにして持つ自然権であるならば憲法に規定するまでもなく、逆に人権を規定することは本来無限である自然権をその規定された内容に限定してしまう危険があると考えられたからであった。しかしその後、国家が保障すべき人権を明示する必要性に迫られた合衆国憲法は、数度にわたる修正条項という形で、人権規定を加えて現在の形となっている。
 
 ここで考えている人権は、あくまで国家に対する人権、あるいは国家からの自由である。自然権を持つ個人が、社会契約によって国家を作ることに同意はしたものの、国家が必要以上に個人の生活や権利に介入しないように、言い換えれば国家の手足を縛っておくために、権力分立など国家機関の権力を制限し、そして各種の人権の保障を約束させた。また、この自然権思想は、人としての平等な取扱を要求する以上、信条その他の理由で区別することは許されたい。政治的意見を異にするものであってもそれを尊重するという政治的な寛容がその前提とされる。こうした自然権に基づく権利は、後の社会権と区別するために自由権あるいは市民的自由と呼ばれるようになっていく。
 
 このように自然権思想に基づく人権という考え方は、その後西欧社会において支配的なものとなったが、その人権を国家のどの機関によって保障していくのか、という点に一致があったわけではない。人権宣言によってはじまったフランスでは、人権が議会の立法を通じて保障されることが前提とされていたが、議会の多数派による独裁と反対派への弾圧という形で有名無実なものとなった。そのような中で比較的早い時期に現代に通じる人権保障制度を確立したのが、アメリカである。そこでは、1803年に連邦最高裁判所が、裁判所が議会の法律を憲法に照らして審査するという違憲法令審査権を確立した。このことは議会が作った法律が憲法に保障された人権を侵害する場合、裁判所がその法律の効力を否定して人権を救済することを可能としていった。この司法権による人権の救済というシステムは、20世紀になって次第に各国によって取り入れられていく。
 
・【新しい人権概念としての社会権】
 19世紀から20世紀にかけて、資本主義の発展は大量の賃労働者を生み出し、搾取や失業による貧困とそれによる社会不安や時には労働者の蜂起を引き起こしていった。資本主義国家は、そのような事態に対応するために弾圧だけでは効をなさないことを自覚し、労働者の最低限の生存を確保するために各種の社会政策を実施するようになった。それが憲法的な権利として導入されたのがドイツの敗戦と帝政崩壊の中から生まれた1919年のワイマール憲法における社会権であった。ワイマール憲法は、その前年にロシア革命を経て制定された社会主義ソビエト憲法が、それまで人権として確立してきた私有財産制度に搾取の廃止と土地や資源の国有化を対置したことに大きな影響を受け、人間に値する生活を保障する目的で個人の経済的な自由を制約する原理を憲法の中に取り込んだ。そして、第二次世界大戦後のヨーロッパ諸国の憲法は、同じように社会権を保障する規定を持つようになった。
 
 国家にその国民の最低限の生活や労働について積極的な施策を行う義務を課すという社会権は、それまで国家からの自由として考えられてきた憲法上の自由権とは明らかに性格を異にするものであった。自然権思想が国家を前提としない、生まれながらの権利であるとすれば、社会権は人間が自然状態であることによってもたらされる弊害を是正することを求める国家によって実現される権利であった。そのため、ワイマール憲法のもとでは、この社会権を司法権が直接保障するものではなく、あくまでも議会の立法によって実現される権利であると考えられていた。
 
 加えて重要なことは、この社会権の保障がすでに述べた自由権を制限する根拠としても現れたということである。例えば、労働基本権を保障するためには、使用者が、労働者を劣悪な労働条件で働かせ、労働組合結成を理由に解雇することを禁止しなければならない。その限度で使用者は、私有財産権の行使という自由権を制約されることになる。
 
・【国際人権の特徴】
 このように自由権そして社会権と発展を遂げてきた人権ではあるが、それは重大な欠陥を持っていた。これらの人権は、それぞれの国の憲法秩序によって保障されるものとされ、人権をどのように保障するかはそれぞれの国の国内問題とされていた。そうであれば、ある国が国内で市民の自由をまったく否定しようとしたらどうなるのか。あるいは、人権とともに発展してきたものに民主主義があるが、国民の多数を以て憲法や法律を変えて特定の民族や集団を虐待しようとした場合に、それを防ぐ手だてはあるのか。
 
 そのような重大な欠陥が現実のものとして認識されたのは、第二次世界大戦におけるナチスのユダヤ人に対する大虐殺であった。これはナチスに限られたことではなく、それまでにも国内問題としてかたづけられてきた民族的、宗教的そして政治的な弾圧が存在した。戦後の国際社会は、もはや人権がそれぞれの国内の憲法秩序に委ねられた国内問題ではなく、普遍的なものとして国際社会全体が関心を持つべき事柄であるとの認識を持つにいたった。その認識が、国連憲章の人権条項、世界人権宣言、そして現在にいたる国際人権条約の制定へとつながっていく。
 
 国際人権の特徴は、第一に、人権は国内問題にとどまらず普遍的な国際的関心事項であるという認識を実現した点にある。国連においては、その憲章において経済社会理事会の下に人権委員会が設置されたが、その他にも人権の保護と促進に関する小委員会や国連人権高等弁務官事務所が設置されて、国際的な人権基準の設定や各国の人権状況の監視を行っている。また、国連機関の人権活動は各国に対して必ずしも法的拘束力を持たないことから、2つの国際人権規約をはじめとする数々の人権条約が採択され、条約を批准した国々にそれぞれの人権を保障する義務を与えている。人権条約のもとでは、締約国は一定期間ごとに条約の履行状況についての定期報告書を条約機関に提出して審査を受けるほか、多くの人権条約は「通報制度」を設けてその制度を受け入れた国の市民が国内で救済を受けられなかった事件を条約機関に通報して審査を受けることを認めている。このようにしてそれぞれの国は、人権の国際的な基準を受け入れるともに、その履行状況について国際的な監視を受けることになる。
 
 国際人権によって保障されている人権は、世界人権宣言や2つの国際人権規約を見ればわかるように、その大半はそれまで国内で保障されてきた自由権と社会権を含んでいる。ただ社会権については、それまでは立法を通じてしか実現できないと考えられてきたのに対し、差別なく社会保障を受ける権利など裁判所において立法を待たずに直接的様な権利が存在することが認められてきている。さらに国際人権は、それまでの自由権と社会権に加えて、社会内にある特定の集団に所属する者の権利を特別に保障するようになった。たとえば自由権に関する国際人権規約は、少数民族の権利を保障している(二七条)。その他、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、そして子どもの権利条約など、特定の集団に焦点をあてた人権条約が採択された。その他、日本は加入していないが移住労働者権利条約、あるいは現在、国連で起草中の障害者権利条約などがある。これらの人権条約に特徴的なのは、特定の集団に属する者、言いかえれば少数者の、積極的な保護や差別の撤廃の義務を国家に課していくことにある。それは国家が、個人の自由権を侵害しない、あるいは最低限の生活を保障する義務があるというだけではなく、社会の中で私人によって引き起こされる人権侵害から少数者を積極的に保護していくという義務を負うことになるのである。逆に少数者に属するが故に人権を侵害される者は国家に対して積極的な保護の措置を求めていく権利がある。
 
 このように人権と一口で言っても、人権は、歴史上、自由権、社会権そして少数者の権利を含んできている。そうである以上、人権を考える場合には、それぞれの権利の持つ特性を考えなければならない。人権は、国家からの自由だとして国家の関与をはねのけようとする場合、それは自由権を語る場合においては大半の場合正しいかも知れない。しかし、社会権や少数者の権利を語る場合には妥当しないのである。
 
 ■ 3、「民主主義」と人権との関係
 
 ここで考えておきたいのが、政治の理想的な形態とされる民主主義と人権との関係である。先のナチスのユダヤ人迫害の例を見ればわかるように、多数決支配を基本とする民主主義によっては、人権が保障されないばかりかかえって迫害を正当化する道具に利用されることがある。特に社会の中に相互互換性のない少数の民族、外国人、宗教の信者や非信者、政治的信条あるいは性的オリエンテーション者などが存在する場合、そのような少数者は、多数決の民主主義の中で迫害を受け、差別的取扱を受ける例が少ない。日本においても、在日朝鮮・韓国人、被差別部落出身者、外国人、婚外子、ハンセン病患者あるいは性的少数者に対する差別が問題にされ、その多くは是正されることなく放置されたままである。特にその少数者が日本国籍を持たずに選挙に参加できない場合、民主主義の中で差別を是正する手段は与えられていない。
 
 これは何も少数者に対する差別の問題だけではない。犯罪があった時、市民の大多数はその犯人の検挙や処罰によって安全な社会を求めることはあっても、犯人としてとらえられた少年や被疑者の権利が十分に保障されているかに思いをいたすことは少ないだろう。死刑制度の賛否を問われて凶悪犯罪の予防を考えながらそれに賛成しても、死刑囚がどのような状態に置かれているのか、あるいは国家が人の生命を奪うことは許されることなのかを問うことはまれであろう。これは表現の自由などの精神的な自由に対しても起こりうる。過激な表現を好まない、あるいは自分のマンションの郵便受けにチラシを投げ込まれるのは迷惑だ、と素朴に考える多数者が異議を唱えなければ、表現の自由の範囲はどんどん狭くなっていく。
 
 人権侵害は多かれ少なかれ、社会には見えない少数の者に対して行われる。そして、自分には関係はしないだろうと考える多数者の足下を掘り崩していくのである。人権の保障は、多くの場合、民主主義の多数決原理にのみよっていては達成できない。そして、時として多数者による少数者への人権侵害を正当化していくのである。
 
 このような「民主主義」と人権との矛盾を解決するために、現代の国家機構の中では人権救済の権限は、司法権すなわち裁判所に与えられることが多い。選挙によって選出されるわけではない、法と良心のみに拘束される裁判官が人権侵害の有無を審理し、法的強制力のある判断を下すというシステムである。しかし、裁判所や裁判が、議会の動向や世論を必要以上に気にして遠慮すれば、結局は多数の支配に対して、少数者の権利を守ることは困難となる。それは「民主主義」のもとでの法の自滅となってしまう。
 
 さらにそうした少数者の人権を保障することは、裁判所だけの任務ではない。むしろ人権を保障するということは、自分自身が多数者に属する時にそれに属しない少数者の人権をどれだけ考えることができるかという想像力にかかっている。たとえば日本社会に住む善良な市民として、治安の悪化や犯罪の増加を憂い、政府に断固たる防犯の措置を取ってほしいと願うのが、多数者の思いかも知れない。そのため、政府が、少年犯罪を厳罰化し、外国人の管理を強化し、街中に監視カメラを設置し、テロに対する取り締まりを強化する政策を掲げた時、多数の市民はそれを歓迎するかも知れない。時には、警察が勇み足でえん罪事件を起こし、政府の指導者が外国人に対する敵意や憎悪をあらわにする演説を行っても、多数者はそれを例外であって自分には関係ないだろうと苦笑して見すごすかも知れない。しかし人権には例外はない。少年が大人と同じように世間の好奇の目にさらされ、外国人がのきなみ路上で警察官に誰何され、政府が令状もないままに盗聴や拘束を行う社会においては、人権の水準は確実に低下していく。それを防ぐことができるのは、自らを多数派として害は及ばないと考えている者の、人権に対する想像力でしかないのである。
   
 ■ 4、日本に何が欠けているか
 
 このように人権の成り立ちや、人権のさまざまな側面を考えてみた時、日本の社会においては、いまだに共通の認識が語り作られていないことに気がつく。はじめに述べた自民党の憲法草案が、2、3のあまり意味のない権利を憲法に付け加えてカモフラージュしようとしてみてもそれはほとんど重要なことではない。むしろ憲法がより人権を保障しようとするならば、まず国家権力の手足を憲法によって縛ることが大事である。しかし実際には、自民党の憲法草案はその逆であり、九条の改正や政教分離を緩和するなど、市民ではなく国家の行為の自由度を高めようとする改正が目につく。人権を保障する憲法であるためには、国家の行為が規制され、市民によるチェックが可能となることが不可欠なのである。
 
 人権擁護法案をめぐる錯綜した議論も、人権に対する正確な共通の理解が日本社会に欠けていることを典型的に示している。まず、政府がメディア規制を典型的な人権侵害に含めて、逆に人権委員会を法務省の管轄下におこうとした時、それは人権がまずもって市民の国家に対する権利であることが忘れ去られていた。国家の行為を独立の立場から監視し、被害を受けた市民を迅速に救済することが、人権委員会の主要な役割であり、それが確立していないままではその意義は半減してしまう。また、メディアによる取材や報道が被害を与えている現状があるとしても、決してその規制が人権委員会の主要な任務とされるべきではない。メディアは、まずもって民主主義を支える情報を提供する重要な役割があるのであり、一部のメディアによる行き過ぎを理由にその重要な役割が規制されるようなことがあれば、それは人権のために国家を規制していくことを困難にしてしまう。逆に、保守的な論客やネット上の運動で展開されたように、人権委員会が私人の差別行為を規制しようとしていることを以て市民生活への過剰な介入であるとしている点も誤った人権の理解に基づいている。すでに述べたように、現代の国際社会における人権は、そして日本が批准している条約は、国家に、多数者の攻撃によって傷つけられている集団や少数者の保護を義務づけている。社会の中で多数者や力のある者が、少数者や力のない者に対し、差別的な取り扱いや社会的権力を用いて権利や尊厳を傷つけようとする時、それを防止し、止めさせ、保護することは、国家の義務なのである。そのような差別や攻撃は、メディアといえども許されるものではない。問題は、そのような保護は、政治的な思惑から離れた独立の機関によって担われなければならないということである。人権擁護法案については、そのような本来の人権保障が顧みられないまま、潰えていこうとしているが、これは人権に対する日本社会の共通理解の欠如という重大な事態を象徴している。
 
 それでは、そのような共通理解をどのようにして日本社会に確立することができるのだろうか。すでに見たように、現代において人権は、一国内の問題ではなく、すでに国際的な関心事項となっている。日本国内で議論されている人権がはたして普遍的に通用するものであるかどうかは、内外の眼を以て常に検証されていく必要がある。つまり、風通しの良さが人権の確立のためには不可欠なのである。そのような眼で日本社会の現状を見た時、この社会はいま、内向きに停滞している。冒頭に述べたように、各種の人権条約のもとでの日本の状況に関する報告書は、長らく条約機関に提出されず、審査も受けていない。自由権に関する国際人権規約のもとでは、選択議定書という追加の条約を批准すれば、日本国内で人権侵害の救済を受けることができなかった個人は、救済を求めて人権委員会という条約機関に申立ができるのだが、日本はまだ選択議定書を批准していない。国内の裁判所で退けられてもさらに国際社会に救済を求めることができる、人権の国際的保障の典型であるこの選択議定書には、今日国連加盟国の半数を超える105の国々が加入しているが、先進国においては日本とアメリカだけが加入を拒否している。このような日本の人権に対する内向きの状況は、国際社会やアジアの近隣諸国がどのように言おうと、首相が靖国神社参拝を強行し、そして少なからぬ国民がそれを支持するという事態と共通するところがあるであろう。
 
 しかし人権に関する限り、そのような内向きの状況は、ますます人権に関する日本社会の議論を混迷させる。今必要とされているのは、何よりも日本の人権状況や人権をめぐる議論が、国際的な検証や批判の場に持ち出されることであろう。それによって、日本社会は他国や国際社会の豊富な経験や成功例を、人権の発展の素材とすることができる。憲法の基本的人権を支えるシステムのあり方、人権を効果的に救済していく制度など、日本社会が学ぶべきものはまだ多い。
 
 ■5、人権の国際的な実現のために
 
 しかし、そこで語られる人権が日本国内のものに止まっている限り、我々は、人権の国際的保障の重大な側面を忘れ去っていることになる。すなわち他の国々で人権の確立や保障のためにたたかう人々にとって、我々自身もまた、その国の人権状況に関心を持つべき、国際社会の一員である。
 
 どのような先進国であっても、国内に人権問題を抱えない国はない。9・11以後、敵性戦闘員というレッテルのもとに世界中の米軍基地にとらえた人々を秘密裏に無期限拘留しているアメリカの政策は現在も続いている。アメリカは、国内においても愛国者法によってイスラム国からの移民や市民活動家に対する迫害を行っている。イギリスにおいても、反テロリズムの名の下に、令状のないままの逮捕や拘禁が横行する。フランスでは、移民に対する厳しい同化政策が暴動を引き起こす事態にいたっている。
 
 発展途上国といわれる国々においては、アフリカの国々での内戦に伴う集団殺戮を含む重大な人権侵害の数々、あるいは東南アジアやラテンアメリカの国々になお横行している独裁や強権政治のもとでは、いまなお、労働組合や野党の指導者が投獄されあるいは暗殺されている。そうした人権侵害の数々は、国外の市民による調査や告発がなければ、改善はおろか、国連機関など国際社会の場で検証されること自体が困難な状況である。
 
 このような他の国々の人権状況に対する監視活動や支援活動は、日本国内ではまだまだ実績が少ない。日本弁護士連合会などの法律家団体や、アムネスティ・インターナショナルなど一部のNGOにおいて行われているものの、多くの市民団体や労働組合では、自分たちの国内での課題で手が一杯というのが偽らざる現状であろう。しかし人権とりわけ我々がよりどころにする人権の国際的水準は、一つの国だけで発展していくものではなく、世界中の国々で実現されることによって底上げされていくものである。これまで労働運動の中には、国際連帯があり、時にはある国での大労働争議や労働者と政府との対決に支援を送ったように、いま、人権という課題で国際的な協力や共同行動が求められている。

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